TOKYO
ROPPONGI
ROTARY CLUB
Weekly Report
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東京六本木ロータリークラブ会長
平成29年8月21日発行 第531号
2017・2018年度 No.6
卓話 『「マイウェイ国際協力」延べ30年に亘る国際協力経験と世界観』
麗澤大学 外国語学部国際交流・国際協力専攻教授
成瀬 猛様
場所 六本木ヒルズクラブ
プロフィール
麗澤大学 外国語学部国際交流・国際協力専攻教授
- 【経歴】
- 大学専攻:工学部土木工学科卒
- 青年海外協力隊(シリア土木施工)
- 民間建設会社(バクダッド市下水道整備)イラン-イラク戦争にて途中退社
- JICA専門家(エジプト稲作機械化計画)
- 民間開発コンサルタント
- JICA職員(バングラデシュ事務所、ケニア事務所、パレスチナ事務所)
- 麗澤大学外国語学部教授
- 現在に至る
クラブからのお知らせ平成29年8月7日
渡辺会長挨拶
本日は、山の手東グループ、波多野容子ガバナー補佐、並びに古屋公啓グループ幹事をお迎えしての例会となります。
尚、例会に先立ちまして11時半より、理事並びに各委員長にお集まり頂き、ガバナー補佐、グループ幹事のご出席のもとに、「第一回クラブ協議会」を開催いたしました。本年度の各委員会の活動方針につきましてご報告申し上げ、示唆に富んだご意見を頂き、有意義な会となりました。
また、本日は、卓話に11月28日開催の山の手東グループのIMにつきまして、毎月記載に向けて、グループで会議を重ねて頂いておりますが、東京渋谷ロータリークラブの本年度幹事である、堀江浩IM副実行委員長にお越し頂いておりますので、地区の方針でもあります2020年オリンピックパラリンピックへの支援へとつなげるための当グループのIMについてお話を頂きます。
先週は、「2017年米山記念奨学生夏の懇親会」が8月5日(土9品川プリンスホテルにて開催され、門田米山奨学委員長と参加して参りました。米山奨学生、米山学友、カウンセラー、ロータリアンが出席のもと、奨学生の嗜好を凝らした出し物など、大変に楽しい夏の懇親会でございました。11月20日の米山奨学委員会の担当例会で生かせればと考えております。
8月よりピアノ伴奏を、合唱練習でもお世話になっております劔物美紀子先生、劔物紗也佳先生にご担当して頂きます、どうぞ宜しくお願い致します。
(記:渡辺会長)
幹事報告
スケジュールのリマインドです。
来週8月14日は休会。次次週8月21日は六本木ヒルズクラブ、8月28日は夜間例会となります。また9月4日は六本木ヒルズクラブです。お間違えなきようにお願いします。
例会後、理事会がありますので、関係者はお集まりください。
以上
第一回クラブ協議会報告
8月7日例会前11:30-12:20にドローイングルームにて波多野ガバナー補佐、古谷グループ幹事をお迎えし、本年度第一回クラブ協議会が行われました。
会長、各委員長からクラブの概要や本年度の方針を説明いただきました。
波多野ガバナー補佐と古谷グループ幹事には当クラブの取り組みをご理解いただき、特にポリオデーの活動についてと、会員増強の取り組みと質の確保についてコメントをいただいきました。
最後に角山監事から講評がなされ、有意義な協議会となりました。
以上
(記:安部幹事)
各委員会報告
親睦委員会報告
8月28日18時半よりグランドハイアット東京にて納涼夜間例会を行います。カトーエミイ会員のご協力でウクレレとフラの夕べとして皆様と親睦を深め、楽しい納涼夜間例会にしたいと思っております。
是非、アロハやムームーを着て御参加ください。
お振込みは8月21日までに御願い致します。
(記:親睦委員長 片岡)
卓話『日動画廊と藤田嗣治』平成29年7月24日
株式会社日動画廊 代表取締役社長 長谷川 德七様
私ども日動画廊はおかげさまで今年90周年を迎えることが出来ました。丁度父が画廊を始めましたのが昭和3年でございますが、その当時洋画というのはほとんど知られておらず、洋画を持ち込むと「油は間に合ってるよ」と言うようなお話を伺うようでした。
しかし父が非常に真面目に売り歩いたようで、その当時に田園調布が非常に文化都市であったという事から、田園調布一帯を歩いてそしてその中で粟津清亮さんとういう日本動産火災の社長と昵懇になりました。社長がビルを銀座の5丁目にお建てになった、今の日動画廊がある場所です。昭和6年にビルが建ちましたが、その時の地主さんが大層偉い方で銀座は商売の街、商店の街であるので、一階に商店を持ってこないと土地を売らないという条件がついたようなんです。その条件を当てはめる為に粟津先生は考えられて、一番画商さんが綺麗だし文化的だから丁度知り合いだった長谷川がいいだろうという事で、その場所の1階をお貸しいただきました。(日本動産)火災さんの入口というのは本当に小さな入口があるだけで、1階のほとんど全部を私どもがお借りしたような訳でございます。
その当時画商というものがほとんど無かった時代ですし、資生堂さんが画廊をもっている、あるいは三越さんが美術部を持っている、という様な事だったので、路面店の画廊は私どもただ一つという訳でございました。
そして藤田(嗣治)の話になるのですが、当時昭和7年から昭和8年にかけてその頃にブラジルから南米、アメリカを経て日本に帰って来る、なんでその時に藤田が日本に来たかというとマドレーヌの前のユキさんが非常に浪費家だったんですね。
藤田のことを少し話させて頂きますと、1913年にパリに渡ります。お父様が大変偉い方で陸軍の軍医総監をされていました。軍医総監というのは位としては中将ぐらいに値します。藤田のお父様の前の軍医総監というのが森鴎外で、明治天皇にも大変可愛がられたという経緯がありまして、軍医総監というものは大変な権限を持っておりました。その息子で本来ならば医者になるところだったのですけれども、どうしても絵が好きだと言う事で父親の許しを得て芸大に入り、そしてパリに渡る。
1917年ぐらいまでは藤田もパリで鳴かず飛ばずだったのですが、素朴派の画家アンリ・ルソーに興味を持ってルソーの絵の真似事を始め、その頃からだんだんと芽が出てきまして、1918年にはモディリアーニ、キスリングらと一緒に制作をする。作品もモディリアーニ調なんですね。水彩で描いた。モディリアーニを皆さまご存じだと思いますけれども、非常に特色のある首の長い婦人像を描く作家です。後から君代夫人に言わせると、モディリアーニが藤田の真似をしたのだという様な事を盛んに言っておられますが、どちらがどうなんだというのは分かりません。
藤田は1920年になると今度は乳白色で絹キャンバスの上に、非常に真っ白で、透明な、これは非常に秘密で未だに何で基をやられたか分からないんですけれども、中にはパウダーを使ったんだという人もいますけれども、はっきり分からない、それで基を作って炭の細い筆で裸婦を描く。これでパリ画壇の寵児になるんですね。フランスでサロンドートンヌの会員になる、また勲章も貰う等33、34歳でそういう働きをしました。
その当時フェルナンド・バレエと言う非常にやり手の、藤田を持ち上げ、藤田を偉くしたと言っても過言ではない女性がいました。藤田もなかなか浮気性で日本に登美子さんという女性がいたのですが、パリに渡って直ぐ離婚してしまいまして、そしてフェルナンド・バレエと結婚して成功するのですが長くは続かず、非常に肌が白くて綺麗だったユキという方と一緒になりますが、ユキさんが非常に浪費家だったんですね。
非常に稼いだことは稼いだんですけれども、1929年になってパリからの税金が藤田にかかってくるんですね。お前はこれだけ稼いだんだから税金払えと。使っちゃって藤田は何もない。これはいけないと言うので、藤田は薩摩治郎八という当時日本からパリに来ていた大富豪、パリに日本の学生会館を作った方ですが、その方に壁画を描いてくれと頼まれて、お金も無いししょうがないと描いたんですけれども、これはあまりにも筋骨逞しい肉体的な労働者を描いたものであまり気に入られなかった。これはダメだというので、今度は長崎の出島の絵を描いたりしました。また、今でも残っているのですけれどもアメリカ大使館、日本大使館その次ぐらいのところサントノレにある退役軍人のクラブがあるんです。そこに藤田が大きな日本画を描くんです。藤田が描いたのかどうか分からないような、ところがやっぱり猫がいると、藤田だとわかるようなものを短期間で描き上げて稼いだんですね。そのお金を持ってブラジルに向かって、ブラジルでも展覧会をする。それで尚且つその勢いで日本にやって来る。
その当時フランスも戦争の匂いが非常に強まっていまして、これはフランスにはいられないと、日本に長く居なくちゃならんというような事を考えたのでしょう。昭和8年に藤田が日本に帰ってきて、その時に新聞に載る。その新聞を父が見ていて、ロイド眼鏡におかっぱ頭、非常に藤田スタイルというか、これを一目みれば藤田と分かる。その写真を見たそのあとで、藤田がたまたま日動画廊にやって来る。それで父は此れ幸いと、なんとか先生うちで展覧会を開けないだろうかとお願いします。そうすると藤田も結局日本に落ち着くには、どこかきちんとした画廊で展覧会をしなきゃいかんと考えていたのでしょう。二つ返事で承諾を得ました。それが藤田と日動画廊の出会いの始まりでございました。それから日動画廊で戦後昭和24年に藤田がアメリカに発つまで、十数回展覧会をさせて頂きました。
藤田は当時パリで非常に売れっ子で、また、日本の作家達も彼を慕っておりました。戦争が非常に激しくなってくると、日本の作家がパリから日本に帰って来る。そのパリから帰ってきた日本の作家に、藤田は日動画廊を紹介してくれた。それが海老原喜之助ですとか、その当時のパリで非常に活躍していた作家達。そういった人たちが日動画廊を大変支えてくれたという巡り合わせになりました。
そして藤田は昭和9年にうちで第1回の個展を致します。その時に藤田が今までのフランスでの展覧会のやり方、招待状の書き方、レセプションのやり方、全部父に教えてくれました。父は素人画商でしたから、何も知らなかった。そういうフランス流を全部教えてくれた。その第1回の展覧会は大変賑やかで、日動画廊の前が外車で埋め尽くされて、大公使館の車がずらっと並んだという語り草が出来て、藤田も麗々しく大使の奥様に跪いて手に接吻するというような非常に仰々しい振る舞いをなさった。
大変評判になりますとそこに、秋田から出てきた大富豪平野政吉さんという大地主がいらっしゃって、藤田の絵を大変気に入られました。父からもだいぶ買われて、その当時現金を着物にドーンと入れて現金交渉なんです。夜中まで(買い)叩かれて父も閉口して降参しましたが、それでもかなり絵を買って頂きました。
そしてすっかり藤田を気に入って秋田に呼ばれて、そして秋田を藤田も非常に気に入られて、秋田の行事を描かれました。これは大きな絵で、是非とも機会があればご覧頂きたい。秋田県立美術館に今でも掛かっております。縦3.65メートル、横20.5メートル、行事の冬から始まって、夏が来て、また夏から冬になるという絵ですけれども、これを大体2週間、15日間という大変なスピードで描き上げた。しかし見ていて、いつから冬から夏になっていくのか、夏から冬になっていくのか分からないような描き方、非常に上手いですね。
それ以外にも藤田の美術館を秋田に作ってやるという事になりまして、設計まで藤田がするんですね。それが出来たら大変素晴らしかったと思うのですけど、残念な事にそれは建たなかった。戦争が激しくなってしまい、鉄骨が非常に要る建物だったので、そのようなものはとても無理だということで建てなかった。しかし南米からの大変な作品、40号50号の大作が秋田には今でもございます。そこの美術館に行くと今も見られますので、是非一度藤田に関心があれば行って来られると面白いと思います。
藤田は日本に帰ってくるときに浪費家のユキは捨てて、マドレーヌという新しい女性を連れて日本に来るんですね。日本に来て生活しているのですけれども、その内にまたもや女性が好きになりまして、新橋の料亭のお運びさんだった水戸出身の堀内君代さんという方に惚れ込んで、彼女を神田の2号さん長屋に入れてしまったんですね。だけどこれがばれない訳はなく、やっぱりマドレーヌにばれてしまい、マドレーヌは怒ってパリに帰ってしまうのですね。ところがそれから1年ぐらいで藤田恋しさに日本に戻って来るのですけれども、その時には既に麻薬に侵されていたようでした。また、帰ってこられても君代さんがいる訳ですよ。君代はお妾長屋から自宅に入れてしまっていましたから。そうすると鉢合わせする訳ですね。やっぱり君代は面白くないし、藤田と喧嘩になる。年中うちの父も母も仲裁に呼び出されていました。しかしそうこうしているうちにマドレーヌがある朝起きると…。これはいろんな説があるので、オフレコなんですけれども、私が父から聞いた話という事で失礼しまして、池のほとりでマドレーヌが死んでいた。これは病気じゃないかと、麻薬中毒じゃないかというような事も言われましたけれども、そこで亡くなってしまった。しかしその時お父様の意向か、新聞には小さくしか載らなかった。一切この件に関しては誰も何も触れずに終わりになった。その後藤田は君代と結婚しまして、最後パリにまで行くんですね。
そして終戦になったときに一部の作家達は藤田は戦犯だ。あれだけ戦争画を描いたじゃないかと。確かに沢山描いています。しかし藤田の描いた絵というのは、決して戦争を鼓舞するような絵ではないです。今でも近代美術館行くとご覧になれますけれど、これは戦争の悲惨さ虚しさというものを克明に描いているのですね。そして進駐軍も非常に戦争画に関しては寛大でして、その国の戦争画を描くのは絵描きとしての使命である。どこの国でもやっている。そんな事を咎める必要はない。これは芸術である。という事で藤田は戦犯にもならなかった。しかし一部の人たちは盛んにそれを言った、という事もありまして嫌気がさした。藤田は新しい政権になって、マドレーヌの死というのも抱えておりまして、一刻も早くパリに戻りたかった。しかしパリは連合軍に配慮して直ぐにビザを出さなかった。ところがアメリカは将校やなんかがみんな藤田が大好きで藤田の絵を買って集めていたり、コレクションも今も残っているものもあります。そんな事で、藤田はニューヨークのブルックリン美術学校の招聘ということでビザが下りまして、昭和24年にさっさとアメリカに渡ります。それで後から君代を呼び寄せて、尚且つ翌年昭和25年にはパリに入る。
これは私見として聞いて頂きたいのですけれども、藤田は君代と結婚して大失敗だった。それまでは藤田は戦前美しい女性のヌードをたくさん描いた。乳白色で描いて、あれだけフランスで寵児になった。しかし君代はもの凄いヤキモチ焼きで、藤田の戦前の作品に対しては、いくら良い作品であっても偽物だと言いだすんですよね。もう話にならないのです。日本とフランスで藤田の死後、大回顧展をやろうじゃないかという話が持ち上がった時も、最初は君代さんも良い事だと認めていたのですけれども、いざ作品の選定に当たってポンピドゥーと近代美術館で選んだ3分の2は戦前の作品だったのです。それを見たら嫌だ、止めたと言い出して、結局藤田は大回顧展を両方の国で出来ず仕舞いになってしまったというような逸話がございます。
君代がヤキモチを焼く為に、藤田は戦前は女性関係も非常に華やかであったけれども、戦後はパリの村の静かなところで全然他とは交流せずに過ごすようになった。描くものも、婦人像は一切駄目。かわいい女の子だけ。かわいい女の子を描いている分には別段なんともない。ただ藤田の描くかわいい子供たちというのは、全部藤田の空想の中の子供たちであって、実在の子供たちではないのです。どっちかと言うと、大人を描く場合はほとんど君代の肖像画に近いものになってしまっている。そういった事で私は戦後も美しい婦人像を描いていたら、藤田はもっともっと世界的に賞賛された画家になったんじゃないかと思います。
例えば、この間香港でオークションがございまして、サザビーズのオークションに100号の藤田の絵が出ました。その100号の絵のモチーフが私が35、6年ぐらい前に福岡の市美術館に売った絵と同じなんですね。全く同じ構図で、ただ猫のいる場所だけが違った。私はその絵を4,500万円で売っているんですね。サザビーズの落札の予想価格は2億~3億円。2億がせいぜいで3億はとても行くまいと、皆さん下馬評で言っていたのですが、なんと6億円の値が付いたのです。そのぐらい乳白色の藤田の絵は世界的に評価が高いのです。ここのところ出てくる藤田の絵は値段が無茶苦茶に上がっています。それに釣られてかわいこちゃんの絵も値段が上がっているという事なんですけどね。君代さんは失敗だったなと、もっともっと藤田を世界的にしてあげたかったと、本当に残念に思っております。
藤田の晩年の仕事としてチャペルを作っております。そのチャペルが非常に素晴らしいものなので、チャンスがございましたら是非行って来られると良いと思います。これに対しても奥さんは、藤田はあのチャペルを作らされたので、天井に上がってずっとトイレに行けなかった。それで膀胱がんが出来て死んだんだという事を言っていました。最初はそのチャペルに奥様と両方遺体を葬ることになっていたのですが、一度は葬ったのですが、裁判をやって取り出してしまったのです。それで自分の田舎に葬ったのですが30年も経って、自分が亡くなる近くになってからやっと融和して、自分もやっぱりそのチャペルに眠りたいと思ったのでしょう、そこに遺体を戻して結局2人ともそこで眠るという事になりました。
藤田と日動画廊という事で話させて頂きました。
ありがとうございました。
東京都立六本木高校インターンシップ受け入れ2017年7月27日
浅田屋伊兵衛商店 株式会社 淺田豊久会員
この度の六本木高等学校生徒さんの「インターンシッププログラム」受け入れ記録を以下にご報告します。
- 受け入れ日
- 2017年7月27、28日
- 生徒数
- 1名(高橋さん)
- 受け入れ時間
- 09時~16時
- 受け入れポジション
- 調理場
- その他
- 調理用制服(白衣・帽子・エプロン)等貸与・社食での食事
担当者所見
- とてもまじめな仕事ぶりでわからない事、気になった事を積極的に質問する
- 与えられた仕事の効率を考えて作業する姿勢
- 衛生面にも気にかけておりお客様に召し上がって頂く責任感を持ちながら仕事に取り組んでいる姿勢が感じられた
- その姿勢は教える側に伝わり色々な作業を体験してもらうことにつながって行った
- 本人も自分で下処理した食材が目の前でお料理として出来上がる事に達成感を覚えられたのではないかと推測する
総括
進路指導の先生がインターン生が体験している職場に足を運んで本人の頑張る様子を目にする、これは当社としては初めての事であり大変好感が持てました。ロータリーの原点を実地に体験するこのプログラムはインターン生のために行っている事と言いながらロータリアンが逆に教えられた事が多い、と感じました。
(記:淺田豊久会員)
株式会社 森ビルホスピタリティコーポレーション 大橋裕治会員

グランドハイアット東京では、2017年8月7日から3日間、東京都立六本木高校より1年生の男子学生1名をお迎えいたしました。
初日は、ハイアットの歴史やグランドハイアット東京のセールスポイント、勤務にあたっての心構えを説明し、最後にホテル館内ツアーを行いました。2日目及び3日目はハウスキーピングにて、客室の清掃や到着前の客室の準備を実施。この体験を通じ、「お客様には見えない業務ですが、常に到着するお客様のことを考えて、お部屋を準備することがいかに大切かを学ぶことができた。」と感想を頂きました。
この経験が社会人としての将来を考えるうえでの第一歩になれば大変嬉しく思います。
(記:大橋裕治会員)
ニコニコBOX情報
堀江浩(東京渋谷RC幹事)さん
渡辺会長、安部幹事六本木ロータリークラブのみな様宜しくお願い致します。
安部 義彦さん
波多野ガバナー補佐、古谷幹事、堀江さんご多忙中ありがとうございます。今週は二年に一度の楽しみ、東京芸大での集中講義です。
今村 道子さん
まもなくお盆休みですね。天候が心配ですが、皆様、良い夏休みをお過し下さいませ。
苅田 吉夫さん
波多野ガバナー補佐の御来訪を歓迎します。本年度もよろしくお願いします。
マークエステル・スキャルシャフィキさん
8月20日に明治神宮会館にて「日本神話byマークエステル」が開催されます。お暑い時期ではありますが、皆様のお越しをお待ちしております。
森 佳子さん
台風の被害が案じられます。皆様御大切に。
中川 勉さん
のりきりましょうこの暑さ
齋藤 明子さん
波多野ガバナー補佐並びに古谷グループ幹事、ようこそ六本木ロータリークラブにお越し下さいました。今年一年よろしくお願いいたします。
篠塚 博さん
波多野ガバナー補佐、古谷幹事本日はありがとうございます。
末松 亜斗夢さん
堀江様、本日の卓話を楽しみにしております。
杉本 潤さん
篠塚さん、新本社、おめでとうございます。
渡辺 美智子さん
波多野ガバナー補佐、古谷グループ幹事本日はどうぞ宜しくお願い申し上げます。
山口 富久さん
これ以上の台風被害がありませんようにお祈りします。
トニー・アンドリオティスさん
8月7日のお食事

8月7日の例会出席率(暫定)
- 会員の例会出席数(出席率) 35名(78%)
- ゲスト・ビジターの参加者数 6名
※メーキャップを含めていない暫定の人数です。
次回のプログラム
平成29年8月28日
納涼夜間例会
場所 グランドハイアット